登陆注册
17135500000033

第33章 附录二『論語物語』—『論語』を巡る日本の近代文学創作(3)

『論語·八佾篇』は40文字の短い記述だが、下村湖人によって物事の背景に関す想像や人物関係に関する新たな設定、そして人物の性格を表現するための大量な対話を取り入れてこのような長い文章に演繹された。そして最後に孔子が言った「なおとくと考えてみたい」ということは一体何事であろう。下村湖人は勿論一番よく分っているが、彼は『人生を語る』の中で次のように説明した。

真の礼は、完全に统一された心の姿の現れであり、真理と一体になった清浄無比な自我の境地なんだ。物との完全な調和、人と円満な融合、天地宇宙との霊妙な交感、そういったものを実現することが出来て、はじめて人は真に礼に復したといえるんだ。[19]

これは、下村湖人が孔子の内心にあった「礼」に対する理解であると言っても良いが、もっと正確に言えば、彼の孔子本人に対する理解である。孔子は謹慎な心持で礼への追及を絶えず反省しながら実践し続け、そしてせっせと探求する実践家として厳密で慎み深い態度で学問の研究に励んだと、下村湖人は改めて孔子を認識したのである。彼は形象化の表現で孔子の言葉を深刻に解釈したが、特に学問研鑽に関する孔子の論説は、孔子の弟子に対しての教諭というよりも、むしろ下村湖人が『論語』から悟ったひととなりの道だと言った方が良い。

3.孔子——徳をもって愛を施し、師にも友にもなる教育家

長年にわたって青年たちの道徳育成に努めた教育家として、下村湖人は孔子に対して不思議な親近感を持っている。その親近感が彼の作品に反映され、下村湖人は「徳をもって愛を施し、師にも友にもなる教育家」としての孔子の姿を描いた。『論語物語』においては、下村湖人は孔子と弟子との付合いや対話を通じて彼が理解した孔子の思想と理念を抽出し、孔子と弟子との間の深い誼を現わし、そして中国古代教育家の風姿を読者に展示した。下村湖人は特に人物の「内心」に対する描写に力を込めたが、この「内心」は誰か歴史人物の「内心」ではなく、正確的には彼自身の「内心」であり、或いは彼の身辺に生活している普通の人の「内心」であると言ってよい。[20]

『瑚琏』の例を見てみよう。この話では、下村湖人は多くの文字を費やして孔子と子貢との「内心」の交流を描写した。孔子は次の話しをした。

「子貢、何よりも自分を忘れる工夫をする事じゃ。自分のことばかりにこだわっていては君子になれない。君子は徳をもってすべての人の才能を生かしていくが、それは自分を忘れることができるからじゃ。才人は自分の才能を誇る。そしてその才能だけで生きようとする。むろんそれでひとかど世の中のお役にはたつ。しかし自分を役だてるだけで人を役だてることができないから、それはあたかも器のようなものじゃ」[21]

ここでは、下村湖人は孔子の言葉を通じて君子の徳に対する彼の追慕と礼賛を表した。『瑚琏』に登場した子貢は、「始可与言诗已矣」の子貢であり、「知我者其天乎」と嘆いても良い子貢であり、そして孔子の死後に3年間の長い庵守りを2回も続けた子貢である。下村湖人は孔子の弟子に対する諄々とした教え諭し、又は弟子たちに対する父親勝りの感情に強く感動されたので、その孔子に関する描写に彼自身の感懐が多く含まれていることは、誰も否められないことであろう。

最も評論家に議論されたのは『伯牛疾あり』の話である。ある日、レプラに罹った伯牛は思いがけなく孔子が見舞に来ると教えられたが、間も無く窓から孔子の声が聞こえてきた。

「このごろぐあいはどうじゃ。やはりすぐれないかの。だが、心だけは安らかに持つがいい。心が安らかでないのは、君子の恥じゃ」

「お前の気持は、わしにもよくわかる。人に不快な思いをさせまいとするその気もちは、正しいとさえいえるのじゃ。しかし、……」

と、孔子はちょっと間をおいて、

「お前がその病気を恥じて、顔をかくしているとすると、それは正しいとはいえない。お前の病気は天命じゃ。天命は天命のままに受け取って、しずかに忍従するところに道がある。しかも、それこそ大きな道じゃ。そして、その道を歩む者の

みが、真に、知仁勇の徳を完成して、惑いも、憂いも、恐れもない心境をかいたく

することができるのじゃ」

「伯牛、手をお出し」

孔子は、そう言って、自分の右手を窓からぐっと突き入れた。伯牛の、象の皮

膚のようにざらざらした手が、おびえるように、夜着の中からそろそろとのぞき出

た。孔子の手は、いつの間にか、それをしっかり握っていた……[22]

高田保馬の評論によれば、この話では、下村湖人が孔子の言葉を借りて彼自身の人生態度、つまり運命の挑戦を受けてそれを勝ち抜くという人生観を表している。[23]松浦富士夫は、この話でいう「天命」を下村湖人本人が言った「大いなる道」及びルソーが言った「必然」と同一視し、下村湖人の宗教観が「徹底的現実主義」を基礎にして立てられたものだと指摘した[24]。確かに言えば、孔子が伯牛に与えた忠告や教育から、下村湖人の孔子の精神世界の裏面に対する理解が読み取られる。『孔子の生活原理』においては、下村湖人は次のことを指摘した。

孔子にも「天」の思想と信仰とがあり、その点で、宗教的でもありましたが、しかしその「天」は、キリストの神や釈迦の仏のような絶対の救済力ではなく、いわば自然界、人間界を支配する道理でありまして、その道理にかなうことが、天の心にかなうゆえんでありました。そして、その道理にかなうために、現実日常の生活において、始終一貫,他人の立場に立ち他人の心を思いやることにつとめたのが、要するに孔子の一生だったのであります。[25]

下村湖人は『伯牛疾あり』を通して、「始終一貫,他人の立場に立ち他人の心を思いやることにつとめた」仁者としての孔子、仁愛と眞心を込めて弟子を大切に愛護した教育家としての孔子の姿を描いた。永杉喜輔の思い出によれば、下村湖人が青年団講習所の所長を担当した時に、かつて彼から世話になり、後に肺結核に罹った青年がいた。その青年は下村湖人にしっかり抱き締められて最期を遂げたそうだ。偶然であろうか、下村湖人が現実生活で遭遇した一幕は彼の作品に生き生きと再現された。

『論語物語』を通して下村湖人は二千年前の孔子と逢った。時間と空間の交錯があり、人物も大きく変わったが、その全てが一つの真実を教えてくれた。それは、近代日本文壇で活躍した詩人と作家である下村湖人がその心と体で『論語』を読んで、感じて、そして身をもって彼が唱えた文学と道徳との調和を実践したことである。

四、終わりに

二十世紀初頭に現われた日本近代文人として、下村湖人は西洋文化に啓発され、伝統的価値観を思考し、冷静的な批判意識で時代の先頭を切った詩学理論と文芸観を確立した。彼は「情熱のある詩歌(文学)創作と厳密な道徳教化との統一がを文学家として追求すべき至高の境界である」と主張し、生命に対する尊重と謳歌を礼賛した。彼は文芸の終極目的は宇宙と人生に対する綜合的統括であると宣言し、そして文学の創作と社会的実践においてこれらの理論と主張を積極的に運用した。下村湖人は一貫とした文芸理念を堅持し、『論語物語』において、孔子及びその弟子に対しての群像作りを果たした。下村湖人の眼には、『論語』は歴史的著作ではなく、人類の心の書物である。このような時間と空間を超えて人類の心に長く留まる文化財に対し、我々は現代人の意識をもってそれを読解し、現代人の心理でそれを解剖し、その中から人類自身の真髄を発見しなければならない。[26]

下村湖人はこのような信念と切望を抱えて大胆に『論語』の再創作を実施した。彼は純粋に個人化された経験と体得を作品の創作に運用し、現代人、文学者、教育家の立場から孔子の思想と心持を感じ悟り、それを再現し、そして思想のある道徳家、理想のある政治家、生命を尊重し人性を礼賛する教育家としての孔子のイメージを描いた。下村湖人は自分の作品を通して理想主義と自然(現実)主義との調和と統一を一生懸命に実践してきた。

注 释

[1].『次郎物語』の映画が5部あり、それぞれ日活1部(1941年12月11日出品)、日新東宝1部(1955年10月25日出品)、松竹2部(1960年3月4日及び同年5月13日出品)、西友·学習研究社·キネマ東京1部(1987年7月4日出品)である。テレビドラマが2部あり、それぞれ1956年5月8日から8月28日まで、NTVにて放送されたものと1964年4月7日から1966年3月29日までNHKにて放送されたものである。

[2].『下村湖人全集』卷八、国土社、1976年、P572。

[3].永杉喜輔、『下村湖人伝』、国土社、1974年、P40。

[4].村湖人の台湾在留期間については、張季琳著『台湾における下村湖人——文教官僚から作家へ』(東京、東方書店、2009年)をご参照。

[5].永杉喜輔『下村湖人伝』、国土社、1974年、P141。

[6].下村湖人『冬青葉』「自序」、新政社、1933年、P8。

[7].深川明子「下村湖人の思想形成」、『金沢大学語学·文学研究』、1970年3月。

[8].下村湖人「詩の勢力と道德の勢力」、『竜南会雑誌』第101号、1903年。『下村湖人全集』卷十、国土社、1976年、P28―29。

[9].下村湖人「全自然文学論」、『帝国文学』1909年9月号。『下村湖人全集』卷十、池田書店、1965年、P133。

[10].筆者の不完全統計によると、二十世紀末までに約20種類の『論語物語』が出版されたが、本文における引用はいずれも講談社学術文庫の『論語物語』1995年版によるものである。

[11].永杉喜輔『論語の好きな人びと』、国土社、1974年、P314。

[12].下村湖人『論語物語·序文』、講談社、1995年版、P6。

[13].下村湖人「凡人道」、『下村湖人全集』卷五、東京、国土社、 1976年、P297。

[14].下村湖人『論語物語·泰山に立ちて』、講談社、1995年、P267~268。

[15].下村湖人『論語物語·志をいう』、講談社、1995年、P47~48。

[16].下村湖人「凡人道」、『下村湖人全集』卷五、国土社、 1976年、P301~302。

[17].下村湖人『論語物語·大廟に入りて』、講談社、1983年、P85~87。

[18].『論語物語·大廟に入りて』、講談社、1995年、P88~90。

[19].下村湖人「人生を語る」,《下村湖人全集》卷九,池田书店,1965年,P115。

[20].下村湖人『論語物語·序文』、講談社、1995年、P7。

[21].下村湖人《論語物語·瑚琏》,講談社,1995年第P30。

[22].下村湖人『論語物語·伯牛疾あり』講談社,1995年,P38-39。

[23]. 高田保馬『下村湖人全集』卷五[解説],池田書店, 1965年。

[24].松浦富士夫「論語物語研究」、『高崎経済大学論集』第 42 卷第 4 号、2000 年、P78。

[25].下村湖人「孔子の生活原理」、『下村湖人全集』卷五,国土社, 1976年,P483。

[26].下村湖人『論語物語·序文』,講談社,1985年,P6。

同类推荐
  • 阳明学与当代新儒学(阳明学研究丛书)

    阳明学与当代新儒学(阳明学研究丛书)

    从儒学广角、宋明理学发展背景,以及阳明学的内在机制上来探讨阳明心学与当代新儒学的关系。作者在阐述孟子、周敦颐、张载、程颢等儒学大师心性之学的基础上,对王阳明“以心为本的实践道德说”作了深入系统的分析与研究,进而以梁漱溟的新孔学、熊十力的新唯识论、唐君毅的道德儒学、牟宗三的道德形上学、贺麟的新心学为个案,具体探讨了阳明心学的内在发展——当代新儒学的思想特质,及其与阳明学的思想联系。
  • 低调做人的哲学全集

    低调做人的哲学全集

    本书主要指导读者如何为人处世,荣辱不惊,以获取生活事业的成功。
  • 美学其实很好玩

    美学其实很好玩

    觉得美学离你很遥远?觉得美学太深奥?其实生活就是一堂大大的好玩美学课!美学其实很好玩——扔掉深奥,只留实用的好玩美学书!把高高在上的美学知识一一用进你的生活里,看谁还敢说你“没品位”!325个美学小知识,迅速提升你的美感力,变身美学达人。
  • 智慧书

    智慧书

    人类思想史上最伟大的三部智慧奇书之一。本书汇集了300则绝妙的格言警句,论及识人观事、慎断是非、修炼自我、防范邪恶等处世智慧和谋略。自1647年问世以来,深受读者喜爱,历经几百年时光淘洗而不衰。
  • 心量越大,好事越多

    心量越大,好事越多

    宽广的心量除了跟与生俱来的气质有关系外,还需要靠后天的觉悟和修行来逐步拓宽。星云大师在本书中具体而微地刻划出人间万象与众生实相,深入浅出的探讨世间的问题与人生的哲理,从生活、工作、艺术等各个层面,分享了修身养性方面的智慧。以宽己之心容人,心量越大,福报越大。我们的心量有多大,就能够完成多大的事业;如果我们能够包容一家,就能够做一家之主;能够包容一市,就可以做一市之长;能够包容一国,就可以做一国之君;能泯除一切对待,包容整个法界,就可以随缘应现,逍遥自在,成为法界之王。
热门推荐
  • 爷家有女不出嫁

    爷家有女不出嫁

    本小主不出嫁,为何?还能为何,想想,本小主要治国,理家,平天下,更要挺直了腰杆撑起一片天,当然不能出嫁了。诶、诶,你什么态度啊,偷笑,本小主说错了吗?别以为没有你,本小主没人要,看看,这后面的一个二个三个……啊……本小主是提到你们了,可没让你们就这样懒在这儿不走啊。=
  • 家常炒蔬菜

    家常炒蔬菜

    本书汇百家之所长,让您可以在自家的厨房里,利用最简单的器具,轻松制作出好吃、好看、好营养、好创意的各种家常菜。您只需要举一反三,便能让普通的家常菜因独特的做法而与众不同。精心为您选取了拌三样、炒黄瓜片、家乡茄子、尖椒土豆丝、双仁菠菜、西红柿虾仁炒蛋等好吃的菜肴的制作方法以及厨房小常识冰箱霉菌的去除等生活小常识。既给闲暇的生活增加了活力,又带来健康的享受。
  • 幸福捉摸不定

    幸福捉摸不定

    不知道是不是每个人经历过后才会成熟,但对于夏小乐来说,蜕变的过程是痛苦的。多年之后的相逢让她坚信当年的选择是正确的,因为贪心,她选择与他共同生活,只是她的婚姻一开始就是错误,今天所受的一切都是上天给她贪婪的惩罚,如果时间可以倒流她宁愿不层和他相遇。那场雨夜他带着伤痛离开滨阳市远赴美国求学,“我收了他的钱,我们分手吧!”这一句话时时刻刻激励着他要努力的赚钱,只是若干年后当他已经坐拥亿万财富,为什么再一次见面他眼睛还会愿意为她停留,冷冽不清楚,只当是心中恨意驱使他这样,所以他花下重金买来婚姻,想给她报复,熟不知最后报复的则是自己的心。三年后再一次相见,冷冽才知道什么是他想要的幸福,还好它还没有走远!不过夏小乐怎么变得牙尖嘴利,神啊,你到底对她做了些什么?
  • 五彩缤纷的都市爱情

    五彩缤纷的都市爱情

    五彩缤纷的都市,形形色色的男男女女,不管你如何的奇葩,只要你是真心,付出真情,不要说什么男人,应当以事业为重,就可以逃避,躲闪爱的来临,不管找什么样的理由,理由越多,只能越说明一点,不是男人,如果你是男人,那就拿出男人的举动出来,让她看看吧!
  • 九天炎煌

    九天炎煌

    两千年前,魔境、死境、鬼域联合,大举进犯,与天下正道云天盟血战于中州万丈原,云天盟幸得九天助战,数月血战,击溃邪魔三境,封印魔了祖罗睺神魂。两千年后,天下妖物横生,万妖盟横空出世,欲争天下,祸乱苍生,魔境乘机悄然复出,欲寻找方法,解放罗睺,卷土重来。就在这时,天下最北边的一个名为连云城的毫不起眼的地方,一个懵懵懂懂的少年正一步、一步的走向这个即将刮起血雨腥风的世界!
  • 超级官僚

    超级官僚

    苏小云成为市长,掀开后机动时代波澜壮阔的序幕。这是后工业时代,略带颓废和激昂的进程史诗。自从厌倦于追寻,我已学会一觅即中。自从一股逆风袭来,我已能抗御八面来风。驾舟而行。
  • 雅湘谧漪:妃之妖娆帝之恋

    雅湘谧漪:妃之妖娆帝之恋

    她是家中唯一的嫡女,却自小受尽欺负,在哥哥不知所踪之时,母亲也遭人暗算离去,除了他,陪伴她的只有四个丫鬟。为了他,她从家逃离,却再见不到他。她心灰意冷,决定离开入宫为妃。她的初吻,献给了他;她的初夜,却给了他。后宫女子的悲哀,是因为只是一个被发泄的对象,一夜之后,男人再也不会想起。对她,亦然。她成了不受宠的妃子,在宫中看尽世态炎凉、人情冷暖。她受尽屈辱,但她从不是逆来顺受之人,她发誓,要让那些人付出代价。勾心斗角中她成了第一宠妃,独占恩宠,傲视后宫。却不料,一切都只是命运的玩笑……
  • 魔术不难(走进魔术世界)

    魔术不难(走进魔术世界)

    《走进魔术世界:魔术不难》就是抱着这个让你成为小小表演者的目的来编排的,力求内容广泛,语言浅显易懂,让你一学就会。相信聪明的你在仔细地阅读完《走进魔术世界:魔术不难》后,定会成为人人称羡的表演者。
  • 变形计:孩子的成长有点疼

    变形计:孩子的成长有点疼

    7天互换体验,改变孩子一生!他们是一群低头行走的少年,看不到关爱的目光。他们淋着滂沱大雨,仿佛这才是青春的撞击,却忘了阳光的温度。他们把冷酷当作酷,把草率当作帅,直到他们用暴力的行为,无情的言语刺痛最亲的人。他们,曾一度让老师和父母伤心绝望,被视为“无可救药的坏小孩”,但在经过7天与农村孩子互换变形,被远山与自然的力量感动之后,改变也开始一点一滴显现——体会了他人的艰辛,懂得了责任,宽容和感恩。成长没有标准答案,即使他们曾经叛逆、迷茫,但终究还会坚定而执着地成长!
  • tfboys之青春的味道

    tfboys之青春的味道

    青春,如同一场盛大而华丽的戏,我们有着不同的假面,扮演着不同的角色,演绎着不同的经历,却有着相同的悲哀。